PPMのマリーさん逝去

 アメリカのモダンフォークグループPPM。
 ピーター・ポール&マリーの紅一点、マリー・トラバースさんが亡くなりました。
 72歳で癌だったらしいです。
 私はギターを始めたころに、ギターの教本で紹介されているPPMのレコードを買って、すぐに魅了され、大ファンになりました。
 この私のブログも、アクセスログの検索キーワードでは、PPMがとても多いです。
 人生においての様々な考え方、音楽に対する美意識など、大きな影響を受けました。
 心からの感謝とともに、ご冥福をお祈りします。
私の心の中で、永遠に彼らのサウンドは生き続けています。
 合掌。

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訃報~レスポール死去


 往年の名ギタリスト、レス・ポールが亡くなった。長生きの94歳だったそうだ。
 詳しくは、下記のリンクを切っ掛けに、色々調べてみてください。
http://www.barks.jp/artist/?id=1020733
 伝記映画もあるらしいですね。私は、図書館でレスポールの伝記を借りて、読んだことがあります。
 セールス大成功したのは、なんといっても、往時の奥様、メアリーフォードとのポップソングでの大成功。
 レギュラーのTV番組を持つなど、広く受け入れられていたようです。
 多重録音(彼が開発した)によるこの音源は、ギターの可能性を大きく広げ、のちのポップミュージック、ロックなどの発展に、大いに貢献しましたね。

 YOUTUBEで、TV番組や様々なライブ映像を、楽しむことができます。ぜひ、彼の演奏を楽しみながら、名ギタリストの逝去を悼むことにしましょう。
 心より、偉大な先輩に感謝をこめて、合掌。
http://www.youtube.com/watch?v=7iGXP_UBog4
彼らのTVショーから、「世界は日の出を待っている」です。
 最後に、彼のインタビューから、抜粋。
「明日を見ることができれば良いと思っているよ。それだけだよ、続ける事だね。時間は止まらないし若返らないしね。できる限り自分のやっていることを続ける事だ。」──レス・ポール
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ブルースの本質~ブルーノートの発生について

 今日は水曜日。私ペぺ田代は、ペペタスギター教室埼玉・行田校にてレッスン担当日。
 今日は「ブルースと音程」をお話します。
 まず、ブルースは、アフリカ系黒人のネイティブな音楽が、アメリカ社会の中で変質して、派生してきたものです。
 単純に言うと、人間が移動してくるわけだから、文化、風習、歌、踊りなど、様々なものを持ってくるわけですが、彼らが持ち込んだネイティブな音階は、メジャーペンタトニックに近いもの(厳密に言うと違う)と考えられています。
その明るい音階が、なぜ、現在のようなブルーススケールに変化したのか?
その考察こそが、ブルースの本質の一つといって良いでしょう。
 結論から言うと、「奴隷」としてアメリカに強制連行させられたアフリカ人達の多くは、アメリカの根幹産業である「農業」の労働力として酷使され続けたわけですが、その「過酷な重労働によって、ブルースの根幹でもある「ブルーノート」発生し、「ブルース」も徐々に型造られてゆくわけです。
 要するに「あまりにキツイ労働、疲れ果てた体と心」で鼻歌を唄っても、スケールの明るさを決定づけていた「第3音」「第7音」が、既定の音程まで上がり切らずに、中途半端な音程に下がった状態になってしまったことが主因です。
 
 ちなみに「第5音」の下がった音程がブルーノートとして扱われるようになったのは、大分後年のことらしいです。
 そして、その変質した音程は「“半音”ほどは下がっていなくて、実にケースバイケースで(その時の体や心の状態により)1/4(クオータートーン)~1/2(半音)の間を彷徨う訳です。
 したがって、どの程度の「下がり具合」かで、「心理状態」を表現することが出来るわけですね。ゆえに、極論すれば、「音程が限定される楽器(例:ピアノ)」では「真のブルースは表現できない」と言えましょう。
 わかってきたでしょうか?ブルースに限らず、音程というのは単純に「1オクターブを12等分した“平均率”」で音楽表現が出来るものではないし、超一流のギタリストたちは、演奏時は常に、微妙にチョーク(までは行かないが、微妙に押し込む)してすべての音程をコントロールしているのです。
 チューニングメーターなどを使用して、正確なチョーキング音程を練習することは、大前提として重要ですが、メーターでの初期練習は音程調節テクニックの入り口に過ぎないと考えましょう。
 音程による表現が、その音楽を成立させる主要因であることは間違いないので、「純正律と平均率の違いと実際」などに興味を持ち、学ぶことは重要です。
 如何だったでしょうか?「音楽とは何か?」そして「演奏行為とは?」。そして「それによって何が表現されるのか?」ということを、真摯に突き詰めることこそ、優れたミュージシャンの証しだし、義務でもあります。

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モンク・プレイズ・エリントン/Monk Plays Duke Ellington

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 ギター教室とはいえ、ギターの話ばかりとはゆきません。今日はモダンジャズの名盤「セロニアス・モンク・プレイズ・デューク・エリントン~Thelonius Monk plays Duke Ellington」の話。
味のあるジャケットデザイン

 このアルバムがモダンジャズ史上屈指の名盤に数えられるのは、ジャズに造詣のある方ならいわずと知れた、と言ったところ。
 モンクはビバップ創世記から、そのムーブメントに大きな役割を果たした人ですが、奏者としては指が回らない人で、お世辞にもテクニシャンなんて呼べない人で、まあ、個性派と言うべきか。
 しかし彼が憧れていたのは巨人デューク・エリントン!トータルなミュージシャンとしても巨大な山脈だけど、ピアニストとしても素晴らしく偉大で、そのスタイルは典型的なテクニシャンで、2ビートのストライドピアノスタイルを華麗な、眩しいばかりの壮麗さで弾きまくりました。どれを聴いても目映いばかりの輝き!
 で、モンクはエリントンに憧れ続けたのですな。どう頑張っても、同じ系統を目指すには全く才能が無い自分を見つめながら。そして、そのコンプレックスは独自の音楽を創造する原動力になっていったのですが、でもやはり、「エリントン」が弾きたかったのですね。
 このアルバムは題名の通り、彼のエリントン賛歌です。そして、あのモンクの指が回らぬ下降フレーズ(彼の代名詞のひとつ)、彼があれを弾くときは、彼の頭の中では、華麗なエリントンの音が響き渡っていたのでしょう。
 このアルバムでのモンクは、ドラム&ベースを従えてのトリオで、素晴らしい演奏をしています。エリントンへの敬意、憧れ、嫉妬、愛、様々な感情が昇華され、れっきとしたモンクの音楽になっているのだけれど、しかし「誰が弾いてもエリントンの曲はエリントンの色がある」というラインを超えていません。
 私は、強烈なオリジナリティーを放つモンクのオリジナル作品より、このアルバムを愛聴し、評価しています。
 ギタリストであっても、音楽全体、ジャズ全体に造詣を深め、かつ体系的に理解し、本質を知っておくことは、音楽家として、また音楽教育者として、非常に重要なこと思います。
 皆さんも聴いてみませんか?ちなみに写真は行田教室に所蔵しているアナログレコードのジャッケットです。
アナログレコードは美しい