今日は土曜日。私ペぺ田代は、ペペタスギター教室高田馬場校にてレッスン担当でした。
今日のお題は、前回の「フラメンコ写真」の続きです。
まずは、前回の種明かしから。前回の写真2点は、この写真との関連です。こう、続けてみると、より一層ドラマ性が明確に認識できますね!。
踊り始める前の静寂に、目を閉じ椅子に座るのは、グラナダの「タチアナ」です。もう10年も前の写真です。
彼女の母親は「マルキージャ」。サパテアード(足技)がトレードマークの名バイオーラ。
で、また、彼女(マルキージャ)の結婚当時は、ヒターノ(ジプシー)がリッチなスペイン人男性(実業家)と結婚することは珍しかったらしく、その点でも話題になったそうです。
タチアナも、母親譲りのサパテアードで、人気がありました。
こちらは、上の写真よりも更に2~3年前です。私は、写真を始めたばかりの頃で、うまく撮れませんでしたが、衣裳の模様が流れていたりして、なかなか臨場感がありますね。
私が写真を始めてみようと思ったのは、たびたび訪れたスペインを、撮り残したかったからでした。だから、沢山撮りました。今に観ても、ひとカットそれぞれ、その時のことを思い出します。
写真て、そういう点で、味がありますよね。
さてさて、我がパパ「ペぺ・ロメロさん」も、昨年~今年と来日がなく、私もしばらくお会いしていなかったので、ご自宅に遊びに行って、数日滞在し、ゆっくりご一緒することにしまして、明日から出かけます。
したがって、教室もしばらくお休みになります。佐々木コースは通常営業しています。ブログもしばらくお休みです。
帰りましたら、また、写真など、ご紹介したいと思っています。では、行ってきます。
懐かしいスペインでの写真~2
今日は日曜日でペペタスギター教室は全校、定休です。私ペぺ田代もレッスンはお休み。しかし、ウエブで新規に立ち上げる「オンライン・ストリーミング・レッスン」の準備のため、私はもう3週間休んでいません。ほとんど毎日、トータル12時間以上は働いている状態で、流石に、疲労困憊です。
忙しすぎてブログのネタがありません。なので、困った時は、昔、スペインで撮りためた写真のご紹介。
今日は「フラメンコ!」。あるダンサーの足元です。彼女はサラブレッドで、足技(サパテアード)を継承し、売り物にしてる、名バイオーラ(踊り子)です。グラナダが本拠。こう言えば通なフラメンコ愛好家は、ピンとくるでしょ?
彼女が髪にさしていた花(カーネーション)が、激しい踊りで落ちました。
踊り続ける「激動」のバイオーラと、ステージに落ちた「静寂」の花クラベリータ。
こんな絵にも「相反するファクターが背中合わせに対峙する」スペインらしさを感じます。
上の写真から、流れで見ると、リリカルで、ドラマティックで、美しいですね!
また、行きたいな!スペイン!しばらく行ってない!
(注:「クラベリータ」とはスペイン語でカーネーションのこと。スペインの国花でもあります。女性の容姿を褒めるのにも、使います。私がネルハで常宿にしていたホテルに、大層な美人がいまして、私は彼女に毎日、”Hola,Claberita de Nerja”と挨拶してたよ)
久しぶりに天ぷらを揚げる
9月13日(土)私ペぺ田代は、ペペタスギター教室・東京・高田馬場校にてレッスン担当。
この日は、訳あって早めに終了し帰宅しました。家内の誕生日なので、夕食は私が天ぷらを揚げることにしていたもので。
天ぷらは、天ぷら職人だった、先日他界した叔父に、教え込んでもらいました。叔父の天ぷら店の厨房は、幼児の頃から馴染みの場所だったし、調理作業をよく見ていたし、食べていたし。
大人になってからも、詳しく様々なことを教わりました。天ぷら鍋の前で、またカウンターで、料理しつつ、酌み交わしつつ。
しかし、ここ7~8年くらい、私は天ぷらを揚げてなかった。
なので、「ここはひとつ、真剣に天ぷらを揚げてやろう」と思い立った次第。
この日の種は:
・赤イカ(紋甲に似てる)
・ホタテ
・海老
・キス
・海老とイカのかき揚げ
・アスパラ
・レンコン(厚切りが最高)
・シイタケ(肉厚に限る。軸もそれだけで揚げると美味い)
・ししとう(種は取る)
・ピーマン
天ぷらは、鍋から上がった瞬間に箸を入れ、食べなければ魅力が半減。だから、揚げつつ、食べつつ、飲みつつで、忙しいことこの上ない。したがって、写真を撮ってる暇が、ありませんでした。
なので、翌日用(家内の弁当と私の昼)に残した、冷めちゃった天ぷらの写真しか無いのです。ご容赦。
で、大事なのは「油はごま油100%」。これが最重要で、叔父曰く「天ぷらは、油70、ネタ20、腕10」なんだそうで。
たっぷり多めの油が理想ですが、一般家庭では、なかなかそうもゆきませんね。でも、少量ずつ揚げればいいので、500cc程度で済ませました。逆に考えると、家庭の火力でも、油の温度調節が機敏に反応して、逆に良し、かな。
で、家内の弁当は「天丼」。ちなみに私の今日の昼食も天丼。
さてさて、ではここで、「天つゆと丼つゆのレシピ」。結構、みんな知らないので、教えます。
まず基本は「天つゆ」。材料は「だし汁3:醤油1:みりん1」。「3:1:1」の比率と憶えましょう。本来は「返し(みりんとしょうゆを合せ寝かしたもの)」と「出汁(だし)」を合わせるのですが、前日の夜に用意したので、「返し」を作る暇がない。
こういう時は:
①みりんを火にかけ、フランべして「角をとる」
②フランべの火が納まったら、そこにしょうゆを加え、加熱
③しかし、沸騰したら、早めに火を止める~醤油に焦げた香りをつけない
④この「インスタント返し」を出汁と合わせ、ひと煮立ちさせる
⑤冷暗所で一日置く
これで、超本格的な「てんつゆ」完成。
あっ、注意です。「だし汁」は、きちんと鰹節でとるように。顆粒の「ほんだし」などを使用すると「塩分が強く含まれているので、3:1:1:のバランスは崩れます」。また、だしは濃い目にとると良いでしょう。
で、天丼のたれ(丼つゆ)は:
①天つゆを鍋に入れ、砂糖を加える。甘くなるまで。
②それを弱火で、やや濃厚なとろみが出るまで、煮詰める(1時間くらいかな)
③絶対に強火で、焦げ味が付かないように。また、初めに砂糖を入れとかないと、とろみがつかないよ
で、天丼は:
①ご飯に「ほんの少量」丼汁をかけ
②天ぷらを丼つゆに浸し
③ごはんに天ぷらを乗せて出来上がり
④丼つゆは濃厚なので、絶対にかけ過ぎないように
ということで、久々の天ぷらを堪能しました。皆さんも、夫婦、カップル、それぞれの誕生日は外食ではなくて、家で手料理も楽しいよ。大体予算は、外食事の半分だね。材料高いから。あと、材料は方々で手配する必要があるから、計画が重要だ!
ついでに天ぷらしたあとは、早めにファブリーズが必要だ!
ポールサイモン~「ライブ・ライミン」レビュー No.2
前回に続き、ペペタスギター教室発行、「昔のメルマガ、久しぶりに公開」の続き。
ポールサイモンのアルバム「ライブ・ライミン」のレビュー~曲目解説です。
●曲目解説●
初めの3曲は、ポールひとりで弾き語り。弾き語りギターのお手本のようですね!
「#1~僕とフリオと校庭で」
単純な3コードで、シンプルながら印象的なリフとメロディー。特に「ここからこんな風に展開するんだ!」と、見事な一ひねりが、まさしく天才的なメロディーライティングと感心します。マーティンD-35S(ジャケット写真のギター)の音も素晴らしい!歌詞は、当時モラルがまだ強く常識観念として根付いている社会から、新たな旅立ちをする少年の不安な気持ちを、正直に聴かせます。
“I’m on my way,I don’t know where I’m goin’,Good bye to Rosie the queen Corona,See me and Julio down by the schoolyard”
(僕は自分の道を行くんだ、どこへ行くかは分からないけど。だから、コロナの女王ロージーに、さようなら。また、会おうよね、僕とフリオと、校庭で)
「#2~早く家に帰りたい」
S&G時代の大ヒット。ギターはヤマハのポール・サイモン・モデル(初代の)と思われます。コンサートツアーの旅が続き、早く家に帰りたいな、と歌います。
“All my words come back to me in shades of midiocrity”
(全ての言葉は自分に返ってくる。様々な明暗を残しながら)
「#3~アメリカの歌」
最高の曲と思います。ベトナム戦争で混迷の時代を過ごし、自信を失くし、疲れ果ててしまったアメリカ。そんな社会を自分の人生と照らし合わせて、歌われる隠れた名曲。私の価値観、人生観はこの曲の歌詞がそのままに息づいています。決定的な影響を受けました。
それにしても、ギターも上手い。この歌の伴奏として、全く、過不足無い。見事です。伴奏ってなんなのか、教えてくれます。
“I don’t know a soul who’s not been battered,I don’t have a friend who feel at ease, I don’t know a dream that’s not been shattered or driven to its knees, but I’m all right,for we’ve lived so well so long”
(打ちのめされたこと無い人なんて居ないし、僕の友人に心安らかな奴なんて居ない。くじけさせられ、挫折しない夢なんてない。だけど、僕は大丈夫。だって、こんなに長いことうまくやってきたんだもの)
“You can’t be forever blessed. Still tomorrow ‘s going to be another working day. And trying get some rest.
(人間、いつまでも恵まれているわけにはいかないんだ。相変わらずの明日はやってくるけど。だから、僕はちょっと休みたいんだ)
ここからは南米民族音楽専門グループ「ウルバンバ」が参加。アルゼンチン国籍で、フランス在住の4人組。
「#4~コンドルは飛んで行く」
S&G時代に大ヒットさせていますが、ここでの演奏は、ギターと民族楽器のみとなって、より、雰囲気の濃い、メランコリックな仕上がりとなっています。
「#5~ダンカンの歌」
この時代、ポールは混迷するアメリカを多く取り上げていますが、この曲も、そのモチーフを、よりパーソナルな形で書き上げた曲と思います。地味な曲ですが、この演奏は、内面に向かう強い高ぶりが感動的な音波となり、心を揺さぶります。
“My father was a fishman,mama was a fishman’s friend.and I was born in the boredom and the chouder”
(パパは漁師で、ママはその彼女だったんだ。で、退屈さと、チャウダー鍋から生まれたのが、僕だった)
“Holes in my confidence,holes in the knees of my jeans,I was left without a
penny in my pocket”
(僕の確信も、ジーンズの膝も穴だらけで、ポケットに1円も無い有様でした)
“Just later the very same night,she crept to my tent with the frashlight,and my long years of innocence ended. She took me to the wood,saying,”Here comes something and it feels so good!” And just like a dog I was befriended”
(この歌詞は「18歳未満お断り」な内容なので、ここでは書けません)
“I was playing my guitar,lying underneath the stars,just thanking the Load for my fingers”
(僕は星空の下に寝そべってギターを弾いていました。神様に感謝を捧げていたんです。僕に指を与えてくれたことを)
「#6~ボクサー」
S&G時代の大ヒット。この曲も「ダンカン」同様、ニューヨークにたどり着いた孤独な青年が、猥雑と孤独に耐え、踏みとどまることを、ボクサーに喩え、讃えています。これの、ポール流の人生の応援歌ですね。演奏も、歌詞に呼応し、熱く盛り上がります。
ここからは、ゴスペルグループ「ジェシー・ディクソン・グループ」が参加。
「#7~母と子の絆」
ポールは時期によって、傾倒した音楽が変遷してゆきます。このころから1980年代、初め頃までは、黒人音楽の影響を強く受け、且つ、アレンジを巧みに取り入れています。この曲もR&B色が強く出ています。
「#8~サウンド・オブ・サイレンス」
S&Gのヒットで、ダスティン・ホフマンのデビュー作「卒業」のテーマ。歌詞は、すごく重いです。ディクソン・グループが素晴らしく、まさしく、教会での説教のような、荘厳な雰囲気に仕上がっていて、素晴らしいテイクだと思います。この曲の演奏の、一つの理想型といっても良いでしょう。
混迷の時代に信じるものを見失い、様々な欺瞞に満ちた群衆を、手厳しく批判し、こう結ばれます。
“The wards of the prophets are written on the subway walls and tenament halls”
(予言者の言葉は、地下鉄の壁や、安アパートのホールに書かれているぞ)
「#9~イエスは道なり」
ジェシー・ディクソン・グループの独壇場。ゴスペルの神髄をかいま見ます。
「#10~明日に架ける橋」
S&Gの大ヒット。ベトナム戦争で傷つき、疲れ果てて、自分を見失ってしまったアメリカ。そんな人々を、自分が身をなげうってでも助けてあげよう、と歌われる、 正に救いの歌。
ポール自身はゴスペルを意識し作った曲とのこと。S&Gでは、アート・ガーファンクルが歌い、少年聖歌隊の如く、清々しく歌っていましたが、ポールの理想型は間違いなく、このテイクでしょう。
ちなみに、S&G一夜限りの再結成でのニューヨーク、セントラルパークコンサートでは、リチャード・ティー(名キーボードプレーヤー。黒人。私の最も好きなキーボーディスト)が、かなり黒っぽい演奏で、素晴らしかった。
あの9・11同時多発テロのあとも、現場で歌われました。今、中東を初め、世界が混迷し、あの時代と同じ過ちを繰り返しているのでは?と、思わずにいられません。
「#11~母からの愛のように」
R&Bやロックンロール色の、ノリの良い曲。やはり、ディクソンズが良い色を出しています。
「#12~アメリカ」
S&Gのヒット。アメリカをヒッチハイクする恋人達の目を通して、現代社会に生きる刹那を歌いながらも、明日に生きる希望を歌ったもの。歌詞の「みんなアメリカを探しにやってきたんだ」は、「アメリカ」=「自由」または「人生」と思えます。
“Kathy,I’m lost.” I said. Though I knew she was sleeping. “I’m empty and I’m aching and I don’t know why”
(「キャシー、僕は分からなくなってしまったんだ」彼女が寝ているのは分かっていたけど、言ってみたんです。「虚しいんだ。苦しいんだ。何故だか分からないけど」)
“All come to look for America”
(みんなアメリカを求めてやって来たんだ)
以上、このレビューを書いてから、多分5年以上経っていると思いますが、そのまま出してみました。でひ、素晴らしい音楽に触れて、自己啓発してください。
今の世の中、みんな、「心の再構築」が必要ですね。それには、優れた音楽が最高です!
昔のメルマガ~ポールサイモン Live Rhimyn'
昔々、ペペタスギター教室プレゼンツで発行した、メールマガジンです。久し振りに再公開することにしました。
ポールサイモンの1974年のアルバム「ライブライミン」です。素晴らしいCDで愛聴盤。
●序文●
レッスン中、よく話すことなのですが、「曲やアーティストによっては、アメリカ 近代史を認識せずには、その作品の本質を語ることが出来ない」ものです。
特に、モダンフォーク(ボブ・ディランなど)から、ウッドストック(ロックの時代)へ至り、その後、それが熟れすぎた果実のように、退廃してゆく時代。
この時代、音楽が社会に果たした役割は甚大でした。やはり、ベトナム戦争が非常に大きかった。泥沼化するベトナムに様々な考えが交錯し、激しく体制を批判する若者達の声が大きく投影されてゆきました。
そんな中で、「アメリカンライフの崩壊~伝統的な価値観の破壊や大衆の崩壊」などが起こってゆくのですが、ミュージシャンが、ラブソングではなくて、よりメッセージ性の強い曲を発信し始めたのは、やはりボブ・ディランの成功におうところが、大きかったと思われます。
自分の意見を社会に投げたい。その手段として、街角で歌い始めた。したがって、 歌詞が果たす役割がとても重大なわけです。その成功により、沢山のミュージシャン達が成功してゆくことになります。
歌詞の素晴らしさに視点をとり、ロックバンドを見てみますと、例えばイギリスだけど「クリーム」(エリック・クラプトンのバンド)。格調高く、シェイクスピアをも思わせる文章で、鋭く社会をえぐる。
また、レッド・ツェッペリン。比喩的な表現が多く、文学的な側面も強く感じさせます。自己の内面に、深く向かっている切り口が多い。
さて、そんなわけで、沢山の素晴らしい詩人達が輩出され、ジャンルを超え、社会に影響を与えてきたわけですが、その中でもポール・サイモンは、ナンバーワンと断言して良いと確信します。
このCDに収録された曲は、サイモン&ガーファンクル時代の1964年から、解散しソロでの2枚目、1973年まで、10年間に渡って書かれたものですが、ポールの人間と人生、社会を見つめる、洞察力の深さに、つくづく感心させられます。
特に、ベトナム戦争によって、深く傷つき、疲れ、理想を見失い、病んでいった混迷のアメリカ。そのアメリカを、「人」に置き換え、絶望したり、皮肉ったり、励ましたりと、実にインテリジェンスに歌います。
このCDのなかで、私が一番頼りにしている曲は「アメリカの歌」。1973年発売のアルバム “Time goes Rhymin’ Simon”に収録。
人生の折々で、悩み、苦しいとき、いつでも私の心を救ってくれる。この曲が書かれてから、21年の月日が流れていますが、今でも古びることはない。人生の本質を書いた、素晴らしい曲だと思います。
音楽的な観点から見ると、ポールは音楽的好奇心、向上心と強い人で、時期によって、傾倒しているジャンルが移り変わります。特に60年代最後~80年代初頭にかけて、黒人音楽に深く傾倒していますが、この時期の内容も素晴らしい。参加メンバーも、ニューヨークのスタジオメンで、凄腕の面子ばかり。(”スタッフ”の面子ね。)
そんな中で、このCDで聞ける「ジェシー・ディクソン・グループ」(純粋なゴスペルグループ)とのコラボレーションは素晴らしい。ボーカリストとしての理想型を、ここに感じていたのでしょう。「明日に架ける橋」「サウンド・オブ・サイレンス」など、まるで教会での説教のように、深く感動的な声で、心に染みてきます。
●私の想い出●
私はこのアルバムを購入したのは、確か中学3年の頃と記憶しています。収録曲目がS&G時代の有名曲を含み、ベスト盤のような概要だったので、店頭で見て、購入したのを憶えています。
その頃、聴いた印象では、正直言って「よく分からなかった」というもの。まだ、子供で(この歌詩を理解するには)持て余したのでしょう。只、何度も聞きました。勿論、ギターでも練習して弾いてみたり。だから、当然、嫌いじゃなかったわけです。
で、高校生になり、エレキギターを弾き始め、徐々にギターを弾くとお金がもらえるようになって、大人になって行くわけですが、高校2~3年の頃、自身の中でサイモン&ガーファンクル再発見みたいな時期が有ったんです。で、その時「あれ?」って思った。歌詞が、結構、受け止められるんです。
で、バンドマン時代、色々と悩み多き時代。はまりましたね!「まったく、この曲は俺のためにあるんじゃないか?」なんて思った曲が、このアルバムに沢山あった。
仕事では、その頃、こういった傾向の音楽は演奏していませんでしたから、もっぱらバーボン飲みながら聴くばかりだったのですが、聴きながら涙が止まらなかったのも一度や二度じゃなかったです。
で、時は流れ、あっという間に自分が中年という年に差しかかり、色々と悩むことも、苦しむことも多い時代。ある晩、行田教室で営業終了後、なんの気無しにこのレコードを引っ張り出して聴いてみたんです。それこそ、十数年ぶりに。
感動しましたね。涙が溢れてしまった。何となく、「人生ってこういうものなんだよ。また明日も、生きてゆこうよ」って、言われているようだった。
私は今、丁度、年を重ねてゆくこと~自分の人生に折り合いを付けること、或いはそれは、様々な事に見切りをつけたり、力無く苦笑したりと、人生のある岐路に差しかかっているのだと思います。
「努力すれば、何でも手に入る」という、今までの私を作ってきた魔法の言葉をそのまま、信じ切って生きてゆけるのかどうか?悩み、吐息を吐く。
そんな日々に、この音楽は、救いに聞こえました。そして、私は、ギターと音楽の神様に感謝する気持ちを取り戻せたんです。
ギターを皆さんに教えていて、或いは、こういった事を伝えなければいけないんじゃないか?と思っていたこともあり、今回、こういった形でそれを実現することとなりました。このレビューを切っ掛けに、そんなことを皆さんと分かち合えたら素晴らしいと思っております。
曲目解説は、次回のブログでご紹介します。
(つづく)
桜の黄色い葉
昨日は月曜日で、私ペぺ田代はペペタスギター教室・東京・高田馬場校でレッスン担当でした。レッスンの合間に散歩へ出かけました。蒸し暑かったですね。
いつもの散歩コース。明治通りと新目白通りの交差点です。都電荒川線のカーブのところ。向こうに池袋サンシャイン60が見えます。右手奥に「学習院下駅」。
この辺から、椿山荘方面へ、神田川沿に桜並木です。
桜の樹。葉が黄色く色づいています。なかなか乙ですね。
もちろん「花盛り」が壮観なのは当然だけど、こういうのも、なかなか風情があって結構ですね。
風に吹かれて、枝葉も揺れます。日差しが少ない日だったので(最近毎日そうですねぇ)、目映いきらびやかさは無いけれど、壮観です。
樹木は、冬枯れの時期になっても、また、風情があって、自然は四季を通じていつでも、その美しさで散歩を楽しませてくれます。
新江戸川公園近くの、いつもの茶トラくん。今日も昼寝中。
散歩は、定番コースを作ると、顔ぶれもなじみになったりして、一層楽しいものです。仕事中の、私の大事な気分転換と健康管理。さぼらないで(というより忙殺されて散歩に行けない)毎日、楽しみたいものです。